ユルくてかわいい郷土玩具 ~尾崎人形の唯一の作り手 高柳政廣さん~

尾崎人形は民家の一角に建てられた工房でつくられています

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尾崎人形の産地である佐賀県神埼市西分地区は、佐賀市中心部から車で30分ほど。私たちが訪れた8月は青々とした稲が気持ちよさそうに風に揺れ、夏空と緑の鮮やかなコントラストが美しい風景を描いていました。

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そんな田んぼ道を通り、民家の庭の一角に建てられたプレハブ造りの尾崎人形工房におじゃましました。作り手である高柳政廣さんがご自宅の敷地内に建てたプレハブ造りの小さな工房は道路に面しておらず看板もないため、訪れる人はたいてい迷ってしまうそうです。

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この地域の伝統工芸品である尾崎人形をつくっているのは高柳さんお一人なので、工房もここが唯一。ひっそりとしたその佇まいからも、尾崎人形らしい素朴さが感じられました。

尾崎人形の歴史を紐解くと、元寇の時代にさかのぼります

尾崎人形がつくられるようになったのは、今から700年以上も前のこと。神埼市はかつて「尾崎焼」の生産地として栄えた土地でもあります。佐賀には伊万里・有田焼や唐津焼など有名な陶磁器が多くありますが、尾崎焼はそれらよりも前に作られ始めたのだとか。
田畑の土から上質な粘土がとれたことも、この土地で尾崎焼がつくられた理由の一つです。

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手前の3羽が尾崎人形の代名詞的存在の鳩笛。おしりに口をつけて吹くと、ホ~ッと音が鳴ります。

ルーツは地域の子どもたちに愛されたおもちゃでした

その尾崎焼をつくる際につくった粘土の余りを使い、つくられるようになったのが尾崎人形の誕生のきっかけ。鎌倉時代の元寇で日本にやってきたモンゴル兵士がこの地に住み、地元の人たちにお世話になったお礼として技術を伝えたという話もありますが、高柳さんをはじめ神埼市の方たちにとっては子ども時代に粘土遊びの一環としてつくり、できあがった人形で笛を鳴らして遊んだ思い出のおもちゃ。家の中に無造作に尾崎人形があるのは、この地域では当たり前の光景だったそうです。

一度は絶たれた伝統を、先代が復刻。
現在は高柳さんが唯一の作り手に

高柳さんのご両親世代を最後に尾崎焼の窯元がすべて廃業し、いったんは尾崎人形も姿を消してしまいましたが、先代の八谷至大さんと尾崎焼保存会が尾崎人形を復活させたのが1990年のこと。2006年に八谷さんが亡くなってからは高柳さんが唯一の作り手として、この地の伝統工芸品を次の世代に広めています。

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高柳さんは現在72歳。作り手としてのキャリアは10年になります。
それまでは、自衛隊員を経て工場で働く普通の会社員だったのだとか。
60歳で定年退職をしたあと、まわりから尾崎人形づくりを勧められ、背中を押されるようにこの道に入りました。

「ほかに担い手もいないしね」と当時のことを話す高柳さん。
ご両親が尾崎焼職人であったことや、先代の八谷さんに人形づくりを教えてもらった経験があったことなどが適任として推薦された理由だとご本人は語りますが、高柳さんとお話しして、そのお人柄の良さも後継者として選ばれた理由ではないかと思うのです。

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工房に置かれていた尾崎人形についての説明には高柳さんのお顔がコラージュされていました。その後ろには仲間と撮ったスナップ写真が。お友達もとても多いようです。

作り手としての誇りを胸に、新製品も開発

「あまりお金にならんけん」と、当初は半ば渋々始めた尾崎人形づくりですが、高柳さんの制作意欲を大きく駆り立てる出来事がありました。作り手として活動を始めて半年後に、初めて人形を焼く「初窯入れ」を佐賀新聞に取材してもらったことです。

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取材記事は大きく掲載され、そのことからもこの地域の伝統工芸品を受け継ぐ期待を一身に受けていることがうかがえます。
当時のことを語る高柳さんは、ちょっと照れながらも誇らしげな表情でした。その後もテレビや新聞の取材は多数入り、地元ではすっかり顔が知れた存在に。「悪いことはできんけんね」とはにかみます。

そんな感じで私たちの取材には終始にこやかに、謙遜と冗談を織り交ぜて対応してくださいましたが、合間に見せる真剣なまなざしにハッとさせられるシーンも多々ありました。

現在の人気シリーズである干支の尾崎人形は、高柳さんのアイデアでつくり始めたもの。かわいらしさが好評を博し、年々取扱店が増えていて、取材に訪れた8月にも来年の干支である犬をたくさんつくっていらっしゃいました。

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顔の絵付けは2パターンのうちどちらかを検討中とのこと。どちらもとぼけた表情に癒されることうけあいです。

先代から受け継いだ尾崎人形づくりですが、技法や伝統を守りつつも「人形に自分らしい特徴を出したい」と何度も口にしていた高柳さん。そのひとつとして、この干支シリーズがあるそうです。

現在つくられている尾崎人形のうち、伝統的につくられているモチーフは鳩笛と水鳥、そして赤ちゃんを抱いた「赤毛の子守」の3つ。干支シリーズをはじめ、佐賀の県鳥であるカチガラスや、有明海に生息するムツゴロウなどは、高柳さんのアイデアでつくられはじめたものです。

東京や大阪などの都市部でも販売され始めたことから、住宅事情にあうミニサイズをつくるようになったのも高柳さんのアイデア。飾りやすさはもちろん、持ち帰りやすいと好評なのだとか。

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ムツゴロウはまだ試作の段階だそうです。色合いはもうすこし改良するとのこと。

「先代のマネをして同じものをつくるだけではダメだからね」と話す高柳さん。
絵付けに使用する絵具を発色のいいアクリル絵の具にしたり、小さな子どもがくわえても安心な素材にするなど材料やつくり方、そして手にする人たちのことも考え、改良を加えています。

また、ザラザラとした手触りなのも高柳さんがつくる尾崎人形の特徴です。先代がつくった人形はつるんとした触り心地でしたが、土のぬくもりをより感じられる、優しい手触りになるように粒子が粗い粘土をあえてつかっているそうです。

「伝統を受け継ぎつつ、新しいこともどんどんやるところがかっこいい」と、高柳さんのアシスタントとして働く城島さんも尊敬のまなざしをむけていました。

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アシスタントの城島さん(写真左)。佐賀市内で「佐賀一品堂」という雑貨店の経営もしています。

地域住民に伝統を受け継ぐ活動も

高柳さんは制作だけでなく、地域に伝統を伝える活動にも積極的に取り組んでいます。
小学校や老人会で行う絵付け体験会に自ら出向き、実演や指導をするのも高柳さんの役目。かわいらしい絵と作文がまとめられた冊子を大切に保管していらっしゃいました。

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実は城島さんは、その絵付け体験がきっかけとなって高柳さんのアシスタントを始めたそうです。当時あまり納得がいく絵付けができなかったことが強く印象に残り、リベンジをしたかったこと、おもちゃや雑貨が好きだったこと、そして伝統工芸品を後世に残したいという想いから、高柳さんのサポートをかって出ているそう。
高柳さんの地道な活動は、若い世代にもしっかりと受け継がれているようです。

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窯で焼く前の人形たち。この段階で音が鳴るかを1つ1つチェックします。たくさん並んでいる狛犬は老人会の絵付け会用だそう。「自分も老人会の会員です(笑)」と説明してくれました。

作り手の高柳さんの人柄も、
尾崎人形の魅力の一部かもしれません

今後の目標について伺ったところ、「今のまま健康を維持して、まずは干支を一巡できれば十分」とのお答え。うさぎ年から始めた干支づくりは、来年で6年目です。

「尾崎人形を扱ってくれているお店めぐりもしたい」とやりたいことも教えてくれましたが、目下何よりも楽しみにしていることは、秋にお孫さんの運動会を見に関東に出向くことだとか。「幼稚園に入って初めての運動会があるから、見に行くんだよ」と、目を細めて話してくださいました。お孫さんにプレゼントするために人気キャラクターの尾崎人形を特別につくったこともあるのだとか。孫にメロメロな、やさしいおじいちゃんでもあります。

そんな高柳さんが1つ1つ心をこめてつくるからこそ、人形たちは、素朴でやさしい、絶妙にユルい雰囲気を醸し出しているように感じました。伝統工芸の重みがありながら、親しみやすいその佇まいは、作り手の高柳さんの人柄からなるものかもしれません。


問い合わせ先

佐賀一品堂

〒840-0813 佐賀県佐賀市唐人1-1-13
TEL:070-5276-2797

作家

尾崎人形保存会 高柳政廣
〒842-0015 佐賀県神崎調尾崎639-1