しなやかで強い、日常使いの暮らし道具  ~西川登 竹細工を夫婦でつくる 栗山商店~

竹細工がつくられているのは、里山のふもとにある民家の土間

佐賀県の西部に位置し、長崎県に隣接する武雄市は、古くから温泉地として栄えた街です。最近は図書館が話題になったことで「武雄市」という地名を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
観光客も多い武雄市ですが、市街地から離れると田畑や里山が多くてとてものどか。私たちが訪れたのは真夏でしたが、空気が澄んでいて、心地いい風が通っていたからか、それほど暑いと感じず、気持ちのいい場所だなぁと感じました。武雄市の西川登地区で竹細工をつくる栗山商店は、そんな里山のふもとにあります。

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4代目の栗山勝雄さんが作り手を担う栗山商店。入口すぐの土間が工房になっていて、入ってすぐに目に入る道具やつくりかけの材料が並んでいるのを見ることができました。

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材料である「竹ひご」づくりから、職人の技巧が光ります

せっかくなので、栗山さんにはいつもの座布団の上に座っていただき、つくりながらお話を聞かせていただきました。まず驚いたのが、竹細工を「編む」ところからではなく、なた包丁で竹を割き始めたことです。
どうやら竹細工は、材料である「竹ひご」をつくるところから始まるようです。

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刃を左手に向けて勢いよく竹を割くので見ていてハラハラしてしまいましたが、怪我をすることはないそうです。

さらにお話を聞くと、竹ひごをつくる以前の「竹林で竹を切ってくる」という工程も必要とのこと。竹細工は思っていた以上に手間と時間がかかっていることを知りました。

竹細工ができるまでの過程は、ざっくり分けると下記の4ステップです。

1 :毎年お盆過ぎに1年分の竹を切る
2 :切った竹を煮て油抜きし、1か月弱干す
3 :竹を切る、へぐなどの工程を経てそれぞれの竹細工に最適な大きさの竹ひごをつくる
4 :竹ひごを編み、竹細工が完成

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さらに細かい部分を削り落とし、均等なサイズの竹ひごが完成します。

竹細工づくりは、かつては農家の副業。
仲間同士で力を出し合って竹の調達から行っていた時代も

西川登の竹細工は明治時代に始まり、かつては伊万里・有田焼や唐津焼と並ぶほどの佐賀県の一大産業として多くの作り手を擁し、数多くの製品が日本中に出荷されました。作り手のほとんどは昼間は本業である農業に従事し、雨の日や夜に竹製品をつくっていたそうです。

しかし、竹に代わる材料が増えた今はその需要はほんのわずか。前述したようにかなりの手間がかかることも一因として作り手はどんどん減り、西川登の竹細工の伝統を受け継ぐのは、栗山さんのほかは数名だけになってしまいました。

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割いたあとの竹。このあとさらに削って割いて、どんどん小さくなります。

この地域の竹は山の上に生えているので、竹を切りに行くのは山を登らなければなりません。大きなトラックだと小さな山道を通れないため、軽トラックで山を登り自宅まで運ぶそう。竹は1本あたり5メートルはあるので、重さはかなりのものです。

最近、栗山さんはその工程をシルバー人材センターに依頼することも。竹細工で栄えたこの街のご年配の方々はノウハウを持った方も多いため、ちょっとした地域貢献にもなっています。

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取材中にいただいたスイカは、栗山さんの畑で採れたもの。畑ではたくさんの野菜を作られているそうです。

煮てから乾燥させる工程で約1か月。このとき絶対に雨に濡らしてはいけないのだとか。急な夕立もある秋の季節に、それはまた大変なことと思います。
栗山さんの奥さんが「その時期は子守りじゃなくて竹守りばっかりだよ」とおっしゃっていましたが、まさにそうなのでしょう。

産業として栄える前は、それぞれの家庭で「自宅で使う分」をつくっていたという竹細工。当時はキッチンツールだけでなく、農具や日用品などさまざまなものが竹から生み出されていました。竹を切るところから自分たちで行うのは当時のやり方で、昔は「切子(竹を切る人)」「割子(竹ひごをつくる人)」と分業体制を整えていた時期もありましたが、
「切子さんも割子さんも、もうおらんけん、自分たちでやらんと」と、栗山さんは語ります。

それほどの時間と手間をかけてやっとできるのが竹ひごです。どんな製品になるかによって必要な竹ひごのサイズは異なるため、竹ひごが完成品の出来を左右するといっても過言ではないほど。仕上がりのいい竹ひごをつくる技術もまた、職人技。すべて手作業で丁寧につくられている竹ひごは、それだけでも立派な工芸品としての価値があるのです。

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竹ひごとしての完成形がこちら。このように艶やかで均等な竹ひごから、栗山さんの竹細工が生まれます。

夫婦でつくるのが、竹細工づくりの基本のカタチ

そして取材中、もう1つ驚いたことがありました。
竹ひごからかごやさるを「編む」のは栗山さんの奥様の仕事。これは栗山商店に限らず、代々この地域では、編むのは“女性の仕事”なのだそうです。
竹ひごづくりまでを男性が行い、「編む」という繊細かつ緻密な工程は女性が担う。編み終わったら再び男性にバトンタッチし、力が必要な成型・仕上げを行う。夫婦二人三脚で完成するのです。

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栗山さんご夫妻。実は取材前日までお孫さんと千葉のテーマパークに行っていたそうで、お土産話も楽しく聞かせてくれました。

素材として優秀な「竹」だから、
若い人に支持される竹細工をつくり続けたい

父であり栗山商店の3代目・時雄さんから受け継ぎ、作り手になった栗山さん。それまではお父様が竹細工つくり、栗山さんが販売を担うという、こちらも二人三脚でこの商店を守ってきました。
手伝いはしてきたものの、作り手として代替わりをしたのは5年前のこと。「まだまだ若輩ものです」と謙遜していらっしゃいます。

作り手が少なくなり、つくれる竹細工の種類も徐々に減っている昨今ですが、栗山さんは新しい竹製品を生み出すことにも意欲的です。先代の時雄さんは、どんなものでも竹でつくることができたという名工。栗山商店が「佐賀マイスター」の認定を受けているのは、そんな理由もあると奥様が教えてくれました。栗山さんは、お父さんのように「頼まれたらなんでもつくれる職人でありたい」と意気込みます。

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栗山さんの後ろにある大きなかごは、注文されて特別につくったもの。鶏を入れておくための籠だそうです。

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今、竹製品の軽くて丈夫で使い勝手がいいところ、見た目の美しさや、抗菌・消臭などの特徴から、竹細工の良さが見直されています。
栗山さんはそんな「竹好きな人」のために、これからも1つ1つ丁寧につくりたいそう。
催事に出展するときには、奥様と店頭に立ち、手入れの仕方も伝えながら販売するのもふたりのこだわりです。

今後は竹細工職人としての腕をさらに磨くと同時に後継者を見つけたいと話す栗山さん。
「なくなってほしくないから、後継者を見つけて育つまでは元気につくり続けんと」とも話してくれました。西川登の伝統を受け継ぐ若い世代の作り手を大募集中です。

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接着剤などは使わず、竹と籐紐だけで完成する竹ざる。麺類から揚げ物までどんな食材にも使え、消臭効果から匂い残りがありません。

奥様いわく、「1つあれば数十年は使えてしまうから商売にならん」と笑いますが、だからこそ「良いものを長く使いたい」というニーズにぴったり合う良質な日常使いのツールです。
人気ナンバーワンである竹ざるは、どんな料理にも役立つこと間違いなし。材料から一貫して手作業で心を込めてつくった栗山さんのざるが私も欲しくなってしまいました。


問い合わせ先

栗山商店

〒843-0232 佐賀県武雄市西川登町神六28436-3
TEL:0952-28-2178

 

海外シェフからも熱視線!  究極の切れ味を目指す老舗鍛冶屋(かじや)の挑戦 ~吉田刃物株式会社~

佐賀刃物の製造技術を受け継ぐ、日本最大級の老舗鍛冶屋

吉田刃物株式会社は、江戸時代から続く佐賀刃物の伝統を受け継ぐ刃物メーカーです。刀工として修行した創業者がその礎を築き、終戦翌年の昭和21年に農業用刃物の生産をスタート。現在創業71周年になります。昭和51年には創業の小城市から現在の多久市へ工場を新設し移転。機械化により量産体制を進め、多久市の自然豊かな場所に工場と直売所を構え、全国へ向けて商品を出荷しています。

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鍛造(たんぞう)、研ぎ、組立等の分業が多い刃物業界において、材料から完成まで一貫生産出来るのが全国でも珍しい強みです。カマ・クワ・ハサミ等の農業・園芸用刃物や、チッパーナイフ等の機械用刃物、包丁等の家庭用刃物まで幅広く展開しています。

 

ルックス・切れ味・扱いやすさすべてにおいて最高級の三徳包丁

そして今、国内外から熱い視線を浴びている包丁があります。

その名も「ZDP189包丁」

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「ZDP189」とはハガネの材料名です。青紙(あおがみ)等の刃物材料の製造で有名な日立金属株式会社製で、高級ナイフ用のステンレスとして世界的に有名です。特長はサビに強い上に非常に優れた耐摩耗性がある為、切れ味が長く持続するところ。吉田刃物では軟らかいステンレス材に「ZDP189」を割り込んだ3層鋼を自社製造し、刃物全体の強度を高める事に成功しました。

又、「ダマスカス」と呼ばれる21層鋼も独自に開発製造。複雑な文様はひとつとして同じものは無く、美術品としての評価も高く、日本刀を彷彿とさせる文様から海外からの引き合いも多いそうです。

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品番7316 ZDP複合文化包丁(黒)190mm \25,000-(税込)

「ZDP189」の中でも、特に人気のある包丁が、「ZDP189複合文化包丁(黒)190mm」です。ステンレス製なのに鍛造黒仕上げで、その外観は今時のステンレス包丁にはない独特の雰囲気があり、国内外から高い評価を受けています。

昨今、日本製の包丁は和食ブームの後押しもあり、海外のシェフたちから熱いまなざしが向けられる存在に。そして吉田刃物にも、ヨーロッパやアメリカのシェフや問屋から、「ZDP189」の注文や、新たな開発依頼が数多く入っているそうです。

入社以来この道30年という営業部長の森永邦彦さんに「ZDP189」について聞いてみると、「トマトの上にのせるだけで、力を入れなくてもすっと切れる」というほど。
「青果加工場でタマネギを大量に刻んでいるお使いのお客さまが、3か月毎日使っても切れ味が変わらないと驚いていましたよ」と、いうエピソードも教えて下さいました。そして「この包丁を使って最も味が変わる食材は何ですか?」という質問には、「お刺身だね」と即答。切れ味抜群の鋭い刃が、魚の身を滑るように切り上げ、細胞を潰さずに素材の味を活かし、艶々のお刺身になるのだそうです。「釣りが趣味で道具にこだわりを強く持つお客様が、釣った魚を一番おいしい状態で食べたいと購入していく」という話にも、思わず納得です。

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そんな話をしているさなかにも、ショールームにはお客様が。
卸市場に魚を卸しているご夫婦が、その切れ味の評判を聞いていらっしゃったそうです。ふたりで1丁1丁包丁を見て手に取り、吟味されていました。

 

熟練の職人集団が、1丁ずつ丁寧につくっています

「ZDP189」はすばらしい鋼材ですが、包丁にするには繊細な技術が必要という難点も。それゆえ、日本国内で製造しているのは、吉田刃物のほかには数社しかないそうです。決して派手さはなく、むしろひっそりと工場を構えているようにも見えますが、知る人ぞ知る実力派集団。その工場を見学させてもらいました。

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道を渡って向かいにある工場には、たくさんの工員さんたちが包丁や鎌等をつくっている姿がありました。

取材中、リズミカルに「ズドーン」と響く音が聴こえていたのですが、その音はこの大きな鍛造機から。熱く熱された金属を、一気に叩き成型する鍛造(たんぞう)工程がここで行われます。

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この工程では、刃の歪みをハンマーで細かく叩き、まっすぐにしていきます。職人がほんの数秒見ただけで、わずかな歪みをハンマー1本で調整する姿は、熟練の技が光る光景でした。

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自社製品に絶対の自信!
大切に使ってもらいたいから、メンテナンスもウェルカム

工場案内をしてくださったのは、広報を担当する吉田久美子さん。
半年前までは地元誌のライターをしていたそうで、吉田刃物を取材して社風や製品に惚れ込んで転職してきたという経歴の持ち主です。

「前職で記者として取材をさせてもらったときに、吉田刃物の包丁を佐賀市にある老舗日本料理店の板前さんに使ってもらったことがあり、“包丁の作り手が、使い手のことをよく考えてつくっている”と絶賛でした。本当にいいものがたくさんあるんです」と、太鼓判。

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刃物は古来より各種祭事に用いられ、祝い事や贈り物として最適なもののひとつとされてきました。「刃物は災いを断ち切り、幸福を切り開く縁起もの」として、魔除けとして新築のお祝いや、就職、ご結婚のお祝いにも未来を切り拓くと贈り物に重宝されています。
実際に、「嫁いでから料理で苦労しないように」いう意味も込めて、花嫁への贈り物として包丁を選ばれることも多いそうです。良い包丁は一生もの。ずっと使ってほしいので名入れも承っています。

直売所には、他にもペティナイフや牛刀・出刃包丁など、用途別のラインナップも豊富です。ご要望の商品が無い場合は、オリジナルの商品製作も可能との事です。

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また、「包丁はベストな状態で使ってほしいという思いから、研ぎや修理も随時受けています。他社の包丁でもかまいません」と森永さん。

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これからは使い手の声を聞きながら、よりよい製品をつくりたい

「ありがたいことに包丁を大切に使ってくださるお客様が多いんです。ご家庭で使ってみた感想を伺えるのも参考になります。これからはそんな声を活かして、商品開発にも益々力を入れたいです」と、森永さんが意気込みを語ってくれました。
取材に対応してくれた森永さんと吉田さんや会社全体から感じたのは、老舗鍛冶屋としての誇りと、自社の商品への深い愛情。

佐賀の小さな町にある鍛冶工場では、今日も世界に向けて出荷される日本包丁が丁寧につくられています。世界に誇るメイドインジャパン製品のひとつとして、これからの活躍にも期待できそうです。

 

 


問い合わせ先

吉田刃物株式会社

〒846-0025 佐賀県多久市南多久町大字花祭2808
TEL:0952-76-3868

 

ユルくてかわいい郷土玩具 ~尾崎人形の唯一の作り手 高柳政廣さん~

尾崎人形は民家の一角に建てられた工房でつくられています

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尾崎人形の産地である佐賀県神埼市西分地区は、佐賀市中心部から車で30分ほど。私たちが訪れた8月は青々とした稲が気持ちよさそうに風に揺れ、夏空と緑の鮮やかなコントラストが美しい風景を描いていました。

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そんな田んぼ道を通り、民家の庭の一角に建てられたプレハブ造りの尾崎人形工房におじゃましました。作り手である高柳政廣さんがご自宅の敷地内に建てたプレハブ造りの小さな工房は道路に面しておらず看板もないため、訪れる人はたいてい迷ってしまうそうです。

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この地域の伝統工芸品である尾崎人形をつくっているのは高柳さんお一人なので、工房もここが唯一。ひっそりとしたその佇まいからも、尾崎人形らしい素朴さが感じられました。

尾崎人形の歴史を紐解くと、元寇の時代にさかのぼります

尾崎人形がつくられるようになったのは、今から700年以上も前のこと。神埼市はかつて「尾崎焼」の生産地として栄えた土地でもあります。佐賀には伊万里・有田焼や唐津焼など有名な陶磁器が多くありますが、尾崎焼はそれらよりも前に作られ始めたのだとか。
田畑の土から上質な粘土がとれたことも、この土地で尾崎焼がつくられた理由の一つです。

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手前の3羽が尾崎人形の代名詞的存在の鳩笛。おしりに口をつけて吹くと、ホ~ッと音が鳴ります。

ルーツは地域の子どもたちに愛されたおもちゃでした

その尾崎焼をつくる際につくった粘土の余りを使い、つくられるようになったのが尾崎人形の誕生のきっかけ。鎌倉時代の元寇で日本にやってきたモンゴル兵士がこの地に住み、地元の人たちにお世話になったお礼として技術を伝えたという話もありますが、高柳さんをはじめ神埼市の方たちにとっては子ども時代に粘土遊びの一環としてつくり、できあがった人形で笛を鳴らして遊んだ思い出のおもちゃ。家の中に無造作に尾崎人形があるのは、この地域では当たり前の光景だったそうです。

一度は絶たれた伝統を、先代が復刻。
現在は高柳さんが唯一の作り手に

高柳さんのご両親世代を最後に尾崎焼の窯元がすべて廃業し、いったんは尾崎人形も姿を消してしまいましたが、先代の八谷至大さんと尾崎焼保存会が尾崎人形を復活させたのが1990年のこと。2006年に八谷さんが亡くなってからは高柳さんが唯一の作り手として、この地の伝統工芸品を次の世代に広めています。

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高柳さんは現在72歳。作り手としてのキャリアは10年になります。
それまでは、自衛隊員を経て工場で働く普通の会社員だったのだとか。
60歳で定年退職をしたあと、まわりから尾崎人形づくりを勧められ、背中を押されるようにこの道に入りました。

「ほかに担い手もいないしね」と当時のことを話す高柳さん。
ご両親が尾崎焼職人であったことや、先代の八谷さんに人形づくりを教えてもらった経験があったことなどが適任として推薦された理由だとご本人は語りますが、高柳さんとお話しして、そのお人柄の良さも後継者として選ばれた理由ではないかと思うのです。

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工房に置かれていた尾崎人形についての説明には高柳さんのお顔がコラージュされていました。その後ろには仲間と撮ったスナップ写真が。お友達もとても多いようです。

作り手としての誇りを胸に、新製品も開発

「あまりお金にならんけん」と、当初は半ば渋々始めた尾崎人形づくりですが、高柳さんの制作意欲を大きく駆り立てる出来事がありました。作り手として活動を始めて半年後に、初めて人形を焼く「初窯入れ」を佐賀新聞に取材してもらったことです。

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取材記事は大きく掲載され、そのことからもこの地域の伝統工芸品を受け継ぐ期待を一身に受けていることがうかがえます。
当時のことを語る高柳さんは、ちょっと照れながらも誇らしげな表情でした。その後もテレビや新聞の取材は多数入り、地元ではすっかり顔が知れた存在に。「悪いことはできんけんね」とはにかみます。

そんな感じで私たちの取材には終始にこやかに、謙遜と冗談を織り交ぜて対応してくださいましたが、合間に見せる真剣なまなざしにハッとさせられるシーンも多々ありました。

現在の人気シリーズである干支の尾崎人形は、高柳さんのアイデアでつくり始めたもの。かわいらしさが好評を博し、年々取扱店が増えていて、取材に訪れた8月にも来年の干支である犬をたくさんつくっていらっしゃいました。

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顔の絵付けは2パターンのうちどちらかを検討中とのこと。どちらもとぼけた表情に癒されることうけあいです。

先代から受け継いだ尾崎人形づくりですが、技法や伝統を守りつつも「人形に自分らしい特徴を出したい」と何度も口にしていた高柳さん。そのひとつとして、この干支シリーズがあるそうです。

現在つくられている尾崎人形のうち、伝統的につくられているモチーフは鳩笛と水鳥、そして赤ちゃんを抱いた「赤毛の子守」の3つ。干支シリーズをはじめ、佐賀の県鳥であるカチガラスや、有明海に生息するムツゴロウなどは、高柳さんのアイデアでつくられはじめたものです。

東京や大阪などの都市部でも販売され始めたことから、住宅事情にあうミニサイズをつくるようになったのも高柳さんのアイデア。飾りやすさはもちろん、持ち帰りやすいと好評なのだとか。

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ムツゴロウはまだ試作の段階だそうです。色合いはもうすこし改良するとのこと。

「先代のマネをして同じものをつくるだけではダメだからね」と話す高柳さん。
絵付けに使用する絵具を発色のいいアクリル絵の具にしたり、小さな子どもがくわえても安心な素材にするなど材料やつくり方、そして手にする人たちのことも考え、改良を加えています。

また、ザラザラとした手触りなのも高柳さんがつくる尾崎人形の特徴です。先代がつくった人形はつるんとした触り心地でしたが、土のぬくもりをより感じられる、優しい手触りになるように粒子が粗い粘土をあえてつかっているそうです。

「伝統を受け継ぎつつ、新しいこともどんどんやるところがかっこいい」と、高柳さんのアシスタントとして働く城島さんも尊敬のまなざしをむけていました。

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アシスタントの城島さん(写真左)。佐賀市内で「佐賀一品堂」という雑貨店の経営もしています。

地域住民に伝統を受け継ぐ活動も

高柳さんは制作だけでなく、地域に伝統を伝える活動にも積極的に取り組んでいます。
小学校や老人会で行う絵付け体験会に自ら出向き、実演や指導をするのも高柳さんの役目。かわいらしい絵と作文がまとめられた冊子を大切に保管していらっしゃいました。

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実は城島さんは、その絵付け体験がきっかけとなって高柳さんのアシスタントを始めたそうです。当時あまり納得がいく絵付けができなかったことが強く印象に残り、リベンジをしたかったこと、おもちゃや雑貨が好きだったこと、そして伝統工芸品を後世に残したいという想いから、高柳さんのサポートをかって出ているそう。
高柳さんの地道な活動は、若い世代にもしっかりと受け継がれているようです。

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窯で焼く前の人形たち。この段階で音が鳴るかを1つ1つチェックします。たくさん並んでいる狛犬は老人会の絵付け会用だそう。「自分も老人会の会員です(笑)」と説明してくれました。

作り手の高柳さんの人柄も、
尾崎人形の魅力の一部かもしれません

今後の目標について伺ったところ、「今のまま健康を維持して、まずは干支を一巡できれば十分」とのお答え。うさぎ年から始めた干支づくりは、来年で6年目です。

「尾崎人形を扱ってくれているお店めぐりもしたい」とやりたいことも教えてくれましたが、目下何よりも楽しみにしていることは、秋にお孫さんの運動会を見に関東に出向くことだとか。「幼稚園に入って初めての運動会があるから、見に行くんだよ」と、目を細めて話してくださいました。お孫さんにプレゼントするために人気キャラクターの尾崎人形を特別につくったこともあるのだとか。孫にメロメロな、やさしいおじいちゃんでもあります。

そんな高柳さんが1つ1つ心をこめてつくるからこそ、人形たちは、素朴でやさしい、絶妙にユルい雰囲気を醸し出しているように感じました。伝統工芸の重みがありながら、親しみやすいその佇まいは、作り手の高柳さんの人柄からなるものかもしれません。


問い合わせ先

佐賀一品堂

〒840-0813 佐賀県佐賀市唐人1-1-13
TEL:070-5276-2797

作家

尾崎人形保存会 高柳政廣
〒842-0015 佐賀県神崎調尾崎639-1