都会の暮らしにもマッチするスタイリッシュな唐津焼 ~白華窯 吉永サダムさん~

吉永サダムさんの工房「白華窯(はっかよう)」は佐賀県伊万里市内にあり、すぐ近くは有田町という立地です。そしてつくるのは有田焼や伊万里焼に多い磁器ではなく、陶器である唐津焼。ご本人は地域や焼き物の種類の名前にこだわらず、「吉永サダム」という自らの名前で活動をしています。

この窯でつくられる焼き物はスタイリッシュな印象のモノトーンを基調としながらも、土のぬくもりを感じるやさしい風合いが特長。「作家もの」として目の肥えた器好きな人たちからはもちろん、若い世代の器ビギナーからも人気があります。

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ジャズ音楽が流れる工房は、作品である焼き物のほかに古い日本家具やアンティークのストーブなどが並んでいます。

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外の景色は山と畑というのどかな環境の中にありながら、一歩入るとそれを忘れてしまいそうな空間に、サダムさんのセンスの良さがうかがえます。ここは古い日本家屋をリフォームして使っているそうで、もともとはサダムさんのおじいさんが趣味で栽培していたみかんの倉庫だったそうです。

サダムさんの作品の間に味のある置物が置かれていたりと、ぐるりとまわってみるだけでもしばらく楽しめます。

絵を描きたい想いが陶芸に導いた

そんなサダムさんが陶芸家として作陶する現在に至るまでには、「絵を描くことが好き」という一本の道を、少し寄り道しながらもそれずに歩いてきた経緯があります。

「陶芸家になりたいと思ったことは実はなかったんですけどね」と話すサダムさん。大学は経済学部で学びましたが、美術の先生になりたいと思うようになったとか。ご両親をはじめまわりに学校の先生が多いこともあり、20代はじめにはご自身もそんな未来を思い描いていたそうです。

しかしご両親は少子化の影響で教職の道は難しいのではないかと考えそれに反対。代わりに勧められたのが有田の窯業大学校でした。

「有田焼には絵付けもあるし、それなら大好きな絵を仕事にできると胸をはずませ入学したんです。でも、やっていくうちに人がつくった器に絵を描くのではなく、器から自分でつくりたいと思うようになって。それからは窯元に修行に出て技術をさらに身につけて、ここで独立して今に至ります」

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最初こそ、そういった理由で陶芸の道に足を踏み入れたサダムさんですが、「今はどっぷりはまっている」と断言。「もっともっと」という気持ちが年々強くなっているそうです。

今はまだ、夢の途中

サダムさんを魅了する陶芸。どんなところが魅力なのでしょうか。

「焼き物づくりは、過去の自分を客観的に見ることができるんです。当時は最高のできだと思った5年前の作品も、今見るともっとこうしたほうがいいという箇所がたいてい見つかる。それは自分への戒めとして未来に活かす糧になります。過去の作品を通して感じる自分の成長はやはり嬉しいものです」

ろくろ台の目の前に大きな鏡がある理由を伺うと「ナルシストだからじゃないですよ(笑)」と。 ここに鏡があることで、作品を遠目からチェックすることができるのだそうです。

ときには作品に見える過去の自分に恥ずかしさを覚えることもあるそうです。「昔はただただ恥ずかしいだけだったけれど、最近は『そんな過去の俺かわいいな』と思ったりもします」と笑います。

そして、キラキラとしたまなざしで「だから今もまだ、夢の途中にいます」と語ってくれました。美しいフォルムで、持ちやすく使いやすい器をつきつめたい。創作意欲は、どんどん高まっているそうです。

「すべて捨てる」を経て現在のスタイルに

白華窯という名前の由来は、白い化粧土を使った「粉引」をメインに作陶するから。窯の名前はその土地の住所をつけるケースが多いのですが、「中里」という土地名は唐津焼の名門一家の苗字でもありそれを付けるのは恐れ多かったという理由もあるそうです。

道のりが平坦ではなかった時期もありました。陶芸を初めて5年ほどたったころ、コンテナ数個分にも及ぶすべての作品を捨てたこともあったそうです。

「作風が似てるねとよく言われるほど、当時は師匠の作品をマネてつくっていただけだったと思うし、売らなくては、稼がなくてはと躍起になっていたんです。そんな中、東京や岐阜に武者修行と称して日本中の焼き物を見に行ってこれではダメだと痛感しました。つくりたいものが漠然としていたし、自己満足だったんですよね」

すべてを捨てたあとは、気持ちを新たに新生「吉永サダム」として再出発。つまり現在の作品はすべてそれ以降のものになります。

大きさをはかるための「トンボ」は1つ1つの器ごとにミリ単位で調整されています。

「今は、マンションに住んでいる都会の若い人たちでも使いやすい焼き物をつくっています。カフェで使うような食器を自宅でも楽しんでもらえたらいいなという気持ちもあるので、テイストやサイズ感はそんなコンセプトにしています」

そんな確固たるイメージのもと、“コーヒーカップは180㏄入るサイズに”など1㎜単位での微調整をしているほどなのだとか。そうやってつくられているからこそ、サダムさんの作品には見た目の素敵さに加えて、使いやすさが備わっています。

唐津のカフェ「caffe Luna」で使われているのはほとんどの器がサダムさんの作品で、コーヒーカップは「かわいい」と女子ウケも抜群なのだとか。ここでコーヒーを飲んで、その使い心地や見た目に惚れ込んでくれたお客さんもたくさんいるそうです。

caffe Lunaでも使われているコーヒーカップ。ぽってりとしたフォルムは手に優しくなじみ、コーヒーを飲んだときのほっとする気持ちをより高めてくれます。

存在感のある一輪挿しで花のある暮らしが叶う

また、器だけでなく花器も豊富につくっているのが「吉永サダム」の特徴のひとつでもありますが、これにも都会のマンション暮らしにマッチするサイズ感を意識しています。

「こっちの人は、庭にいくらでも花が咲いているから、さっと摘んで家中に花を飾るのが普通なんですけど、都会では花は買うものだったり贈られるものでしょ。花器はハードルが高いようですね。だから今は大きな花器より一輪挿しを多めにつくっています」

ほんの1本の花でも美しくいけることができる一輪挿しがあれば、花のある暮らしはぐっと身近になります。サダムさんの花器は、都会に暮らす若い人たちにそんなライフスタイルを提案する一助にもなっているようです。

人との出会いは、器をつくる醍醐味のひとつ

器づくりにおいてサダムさんが魅力に感じることはほかにもあり、それは「人との出会い」だそう。自分の器を好きになってくれる人とは、何かしら仲良くなれる理由があるはずと言います。

「だって、街で突然知らない人に話しかけたら変な人だと思われるでしょ(笑) 。でも器を通してなら、すぐに打ち解けられる。今までに何十人もの人とそうやって出会ってきました。器をつくる理由のひとつといっても過言ではありません」

器を通して出会ってきた人のお話をするときの表情は、楽しかったことを話す少年のよう。友達のことを心から大切にしていることがありありとわかります。陶芸関係の仲間のとても多いようで、ときには窯焚きの手伝いに夜通しででかけることもあるそう。

「唐津焼の作家さんはいい意味で、お互いにライバル意識を持っていないんですよね。自分が受けた注文で、ほかの作家さんがつくったほうがいいと思ったら紹介するし、逆に紹介されることもあります。大切な仲間です」

こちらの絵は仲間の一人が描いたものだそう。「病気を患い手がうまく動かない中、左手で描いてくれた大切な絵。彼の回復を心から願っています」と、お話してくださいました。

ごはんを一緒に食べたりテニスをしたりと、仲間とわいわい過ごすことも多いそう。でも、この工房でろくろをひくときは一人です。

「器をつくっているときはいつも”こいつをもっと魅力的にしてあげるにはどうしたらいいだろう”と考えながら、その作品とだけ1対1で向き合います。そういうメリハリは大切にしているほうですね」

普段はジャズミュージックやラジオを流すことが多いそうですが、ここぞという作品と向き合うときはクラシック派。お気に入りはバッハだそうです。

 誰でも、いつでも来て欲しい

出会いを喜びと考えるサダムさんですから、白華窯への来訪はいつでも大歓迎だそう。

「僕の作品になにかよいものを感じるならば、すでにシンパシーがあるということ。窯元に行くのはハードルが高いかもしれませんが、うちはそんなことないです」ときっぱり。

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ギャラリーはなく、工房のあちこちに作品が置かれています。その中から気に入ったものを探してもらうのだそう。宝探しのようですね。そして、人なつっこい笑顔でサダムさんが面白い話をたくさんしてくれることでしょう。

「お近くにお越しの際には、ぜひいらしてください」とおっしゃっています。気軽な気持ちで訪れてみてください。


問い合わせ先

白華窯
〒848-0034 佐賀県伊万里市二里町中里甲477-1
TEL:090-4988-5956

暮らしながらつくる、普段使いの黒と茜 ~由起子窯 土屋由起子さん~

インスタグラムで「#由起子窯」と入れると、素敵な黒い唐津焼がずらりと出てきます。由起子窯の土屋由起子さんはインスタグラムに頻繁にポストするような比較的若いユーザーからも人気のある作家さんです。山とみかん畑に囲まれた、自然豊かな環境にある工房にお邪魔しました。

 

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由起子窯は、唐津市街から離れた緑豊かな山間にあります。木が生い茂り、夏場は緑のトンネルになるという坂道を登っていくと、工房から笑顔で出てきてくれた女性が。彼女が今回ご紹介する土屋由起子さんです。

思わずこちらもにこにこ顔になってしまうほどのやわらかな雰囲気は、かっこいい黒唐津を作る作家さんだとは思えないほどでした。由起子さんがかもしだす雰囲気からは「かわいらしい」という形容詞がマッチするような気がするからです。ところが由起子さんは「かわいいは苦手だからつくれないのよ」とのこと。そんな時の表情もやっぱりかわいい由起子さんなのです。

この道を選んだのは故郷に唐津焼があったから

まずは由起子さんが唐津焼の作家さんになったいきさつからご紹介しましょう。

4人姉妹の3女として佐賀県唐津で生まれた由起子さんは、小さなころから唐津焼に親しんで育ったそうです。お父さまやおじいさまが骨董好きだったこともあり、自宅には古唐津の焼き物が多数あったとか。

「小さなころから唐津焼で食事をしていましたし、仏様のお供えも唐津焼で。視界の中には常に唐津焼がある家でした」とその環境を懐かしそうに語ります。

工房には電気窯が3台。窓の向こうは緑豊かな山の風景です。

ものづくりを仕事にしたいと造形を学ぶために短大に進学。卒業後、由起子さんが選んだのは、郷土の伝統工芸である陶芸だったそうです。

「織物や染色に興味もあったから、生まれ故郷がその産地だったら布に関わっていたかもしれません。でも私が生まれ育った唐津には唐津焼がありましたから、迷うことはありませんでした」

その決意を聞いて喜んだお父様をはじめ家族全員に応援され、卒業後すぐに陶芸家として独立した由起子さん。学校に通ったり、窯元に弟子入りしたりといったプロセスは経ずに陶芸家としての活動をスタートしました。お父様に「早く独立したほうがいい」とアドバイスされたからです。

薬剤師だったお父様からは、「薬の研究は成果が出るまでにかなり時間がかかる。少しでも早く一人前になってよい器をつくれるようになるべきだ」とアドバイスされたそう。焼き物をこよなく愛するお父様にとっては、陶芸家として成功することは新薬の開発と同等の歳月がかかるほど大変なこと見込んでのことだったようです。

由起子さんの器でいただいたお茶とお菓子。小皿の上にのっているのは唐津の銘菓「松原おこし」です。

できないことを認め、学びなおした時期も

しかし、そのプロセスを選んだことによって、由起子さんは苦悩する日がやってきます。「でもやっぱりうまくいかなかったんです。だから尊敬する隆太窯に見学に行かせてもらうようになって、そうこうするうちに窯の仕事を手伝いながら勉強させてもらえるチャンスをいただきました」

隆太窯に弟子入りするには住み込みで3年間みっちり修業をするのが通常コース。由起子さんはかなり特例だったようですが、「ほかにそういう人がいたかは知らないんです。あまり周りと自分を比べることがなくて…」とにっこり笑います。そんな中、「今となっては、なにもわかっていないと若いころに気づけてよかった」と話してくれた瞬間、ふと真剣な眼差しに切り替わったことが印象的でした。

スポ根さながらの筋トレも必要だった

粘土をこねる過程も見せてくださいました。全身を使って固い粘土を柔らかくします。確かにこれは、筋肉が必要!

ちなみに、隆太窯に通う前の由起子さんが陶芸家として一人前になるために行っていたことの1つは「筋トレ」だそうです。

「始めた当初は粘土が重くてかかえられなかったんです。粘土をこねるのもかなりの筋力が必要でした。これでは続かないと危機感を持って、筋肉をつけることにしたんです」と笑いながら教えてくれました。ちょっとおもしろいエピソードではありますが、ご本人はいたって真剣。日中の制作が終わったら、まずは犬を連れて近所の田んぼのまわりを5周し、その後脚に重りをつけて浜を走るというのがお決まりのコースだったそう!

「数日休むとここの筋肉が衰えて細くなっちゃうのよ」と由起子さん。陶芸家専用の筋肉がしっかりついているようです。

スポ根漫画のようなそんなトレーニングを経て、今では粘土を運ぶのもお手のもの。粘土こねもとても美しく手早いのが印象的でした。

由起子窯といえば、の黒唐津と茜唐津

由起子さんのことをご存知の方は、「由起子窯といえば黒唐津」と連想する方が多いかと思います。

取材前日に窯から出したという黒唐津の湯のみ。同じ釉薬を使い、同じ窯で焼いても色合いはこんなに違います。また使っていくうちに微妙に色が変化するのも特徴だそうです。

黒唐津は、由起子さんが3年かけてつくりだした釉薬によるもの。どっしりとした黒の質感の中に、宝石のようなきらめきも混じる、奥行きのある器です。

由起子さんご自身も「黒は魅力的ですよ」とうっとりと語るほど。洋食でも和食でも、上にのせる料理がぐんと引き立つ、幅広い世代を魅了してやまない人気のシリーズです。

こちらは茜唐津。由起子さんオリジナルの色合いです。

また、茜唐津も由起子さんの代表作です。こちらは女性らしい暖色系のカラーリングが特徴のシリーズで、静かな佇まいの中にも主張しすぎない華が宿っています。

黒唐津が由起子さんの芯の強さを表わしているとしたら、茜唐津には女性らしさやたおやかさが現れているよう。人々を魅了してやまないそんな焼き物は、そんな由起子さんがつくっているからに違いないと、お会いしてみてそう感じました。

ごはんをおいしくする普段使いの焼き物を

由起子さんが焼き物作家になった理由のもう1つは、焼き物が「使えるもの」だから。由起子窯の作品は、飾って鑑賞するものではなく「使う」にこだわります。そんな由起子さんが現在注力している焼き物の1つに、土鍋があります。

つくりはじめたきっかけは「土鍋で炊いたごはんが食べたくて」と、いたってシンプル。佐賀大学が主催した「ひと・ものづくり唐津プロジェクト」に参加し、唐津焼で土鍋をつくるノウハウを研究・開発。唐津焼は本来直火に耐えることができないため、材料である土に別の素材を混ぜて土鍋用の粘土をつくりあげたそうです。

「私の元気のもとはこの土鍋で炊いたごはん」と断言するほどの出来ばえで、ほかのどんな道具で炊くよりもごはんがおいしく炊けるとのこと。なお、この土鍋で炊くようになってから、ご飯がおいしいのでちょっと体重が気になってきた・・・というエピソード付きの、魅惑の土鍋でもあります。

恋も唐津焼が運んでくれた

小学5年生の女の子を育てるお母さんでもある由起子さん。ご主人は東京・銀座で割烹料理店を営む板前さんです。出会いは修行をしていた隆太窯で。お茶事の際、料理をつくりに来ていたのがご主人だったそうです。

「主人がつくったじゅんさいのお椀をいただいたとき、こんなにおいしいものがこの世にあるんだと驚いたんです。本当においしかったなぁ」
そう話したときの由起子さんは、恋する乙女の顔でした。

自称・くいしんぼうの由起子さんの心はぎゅっとつかまれ、その後ご結婚。出産後しばらくは作陶から離れ東京で家族3人で過ごしていましたが、2011年に由起子さんはお嬢さんと唐津に戻り、再び作陶に専念する生活を送っています。

「先日東京に出向いたときは、娘の希望で原宿に行ってきたんですよ」とやさしいお母さんの顔でお話してくれました。

由起子さんの器への姿勢は「主役の料理を引き立てるもの」ということ。あくまで料理がおいしそうに見えるようにと、バランスを大切にして作られています。

絵付けは生後数か月の赤ちゃんからウエルカム

由起子さんが今後力を入れたいことに、赤ちゃんの絵付け体験があるそうです。

実は、由起子窯で絵付けをした最年少は生後5か月の赤ちゃん!さすがに早すぎるのではと思うかもしれませんが、由起子さんいわく「ベストな時期」とのことなのです。

「首がすわってものがつかめるようになれば、筆が持てます。その筆を思うままに動かせば絵になりますよね。なにも考えないで描いた絵ほどすばらしいものはありません。だから、子どもにはなるべくはやく絵を描かせてあげたい。器ならそのあと使ってもらえるからさらにいいと思うんです」と、力説してくれました。

その一瞬しかできえない絵はご両親にとってもかけがえのない作品です。小さな我が子に筆を持たせ、絵を描く時間は幸せにあふれているそう。「覚えていないでしょうけれど、大人になったときにそんな体験をさせてもらえてよかったな」と思ってもらえるはずと太鼓判を押します。

これからもこの土地で器づくりを

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天気がいい日はここでお茶や食事をすることもあるので、テーブルは常に野外に1つ置いてあります。

工房は自宅を兼ねているので、娘さんのキッズチェアやピアノが置かれていたりと由起子さんの暮らしぶりが垣間見える素敵な空間でもありました。毎日料理をするキッチンには普段使いしやすい由起子さんの器が並んでいます。さんさんと光が差し込み、窓の向こうはみかん畑。そんな環境で静かに暮らしながら、由起子さんは今日もこの土地でろくろをひいています。

あと数年でご主人が銀座のお店を閉める予定で、夢だった唐津での3人暮らしが現実のものになるそうです。工房の隣に家を建て、由起子さんの器をつかった食事会や、ご主人のお料理教室などを企画しているとのこと。これは楽しみですね!

毎晩すぐ近くの温泉に通っているそうで、この籠はお風呂用のバッグでもあるそうです。名前付きなのはそれが理由。

取材後、隣の畑でみかんを収穫させてくださり、甘くておいしいみかんをおみやげに友達の家から帰るような気分で由起子窯をあとにしました。購入したお皿を見るたびに楽しかった時間がよみがえり幸せな気持ちになります。


問い合わせ先

由起子窯
〒849-5123 佐賀県唐津市浜玉町東山田800・1
TEL:0955-56-8701

伝統技術とデジタルツールを使う、ハイブリット作陶家 ~器とデザイン 宮崎雄太さん~

佐賀県有田町の内山地区は、かつては「有田千軒」と言われるほど栄えた器の街。
そのメインストリート沿いにある「赤絵座」は、陶芸家の独立支援の場として、この街の期待を背負った若手の作家さんに工房兼ギャラリーとして提供されている場所です。

古い建物が並ぶ風情のある通りでひときわ目を引くスタイリッシュな看板を掲げた外観でした。

この赤絵座で現在作陶を行うのが器とデザインの宮崎雄太さん。
古い引き戸を開けると、アシンメトリーに片側を刈上げたヘアスタイルの宮崎さんが笑顔で出迎えてくれました。

宮崎さんは陶芸をメインに、デザイナーとしても活躍するクリエイター。
ご出身は福岡県の久留米市で、東京で8年間グラフィックデザイナーとして働いたのちに、この土地で作陶を始めました。

陶芸家として発表した最初の作品はこのフリーカップ。このトーンをほかの器にも広げ、宮崎さんの世界観をつくりだしています。

作られている器は研ぎ澄まされていますが、ひとことお話を始めると物腰のやわらかいやさしい人柄であることがすぐにわかるはずです。

デザイナーから転身したわけ

さて、そんな宮崎さんにまず最初に伺ったのは、なぜグラフィックデザイナーから陶芸家に転身したのかということ。

「デザイン事務所で6年働いて、独立してからは2年働きました。南青山に住みながら働き、いろいろな企業のパッケージデザインなどに関わらせてもらって刺激的な毎日でしたが、あるときふと、受け身の仕事に疑問を持ったんです」

デザイナーの仕事の多くは、企業から依頼されてデザインをつくること。それはクライアントの「こうしてほしい」「こんなものをつくってほしい」に応えることです。相手の希望に沿ったものをカタチにするその仕事は、時にはミリ単位で修正があることも。もちろんそれもおもしろい仕事に変わりはありませんが、宮崎さんはもっと自らのクリエイティビティを発揮する仕事がしたくなったそうです。

「ものづくりをしたいという気持ちが強かったので選んだ仕事でしたが、自分のやりたいこととは少し違うなと。そんなときに出会ったのが陶芸でした」

宮崎さんがつくるのは、ほとんどが白と黒のスタイリッシュな器。

有田は実家から近く、住み慣れた九州であったこと、自分の手を動かしてものづくりがしたいこと、つくるなら生活に密着した「普段使いのもの」をと考えたこと。
その結果、家具と器に行き着き、最終的にひとりで完結できる陶芸の分野へ足を踏み入れたそうです。

その後の行動はスピーディー。有田窯業大学校に入学し、2年間有田焼づくりを基礎からしっかり学びました。そして、実力が認められ赤絵座に工房を構えて1年半。その歩みはとても順調に見えますが、「窯業大の卒業生や肥前地区では同年代の活躍している人がたくさんいるので、僕ももっと頑張らなくては」と謙虚な姿勢です。

「僕がつくる器は、華やかではないですし、単品と言うよりは群で魅せるスタイルです。質感も大切にしていて、これも実際に触ってもらってわかってもらえるもの。地道にやっていこうと思います」
そんな客観的な分析ができるのはデザイナー出身ならではかもしれません。

「こんな器をつくってほしい」という注文をうけることもしばしばあるのだそうです。用途に沿った大きさや形などざっくりとしたイメージを伝えてもらってからは、宮崎さんいわく「あとは感じよく仕上げます」とのこと。

「焼き物は2つ同じものはつくれないのが魅力。僕のつくる器のテイストを気に入って注文してくれるのがとてもうれしいです」

デジタルと手作業の”いいとこどり”

そんな宮崎さん、作陶法もデザイナー出身であることが活かされていました。

まずは「こんなものをつくろう」と、アイデアを紙に描きます。これは他の作家さんも行っているごく普通のプロセスですが、その後宮崎さんはデザイン画をパソコンに取り組み、グラフィックデザインをつくる要領で、デジタルデータに落とし込みます。

有田駅前カフェ「Café hestia」のテイクアウトコーヒーで使われているタンブラーの原案となったもの。宮崎さんのデザインです。

焼き物は、窯で焼くと一定の割合で縮むという性質があります。
デジタルツールに落とし込む1番目の理由が、器用のへらとトンボと呼ばれる深さと直径を測る道具を作るためです。
これにより、作る段階の拡大が容易になります。
2番目に器の曲面などのラインをかくにんしながら微調整できる点があります。
3番目にすべての作品の設計図がデータとして残っているため、時間が経ってからでも忠実に同じものをつくることができます。

伝統の技法を使いつつも、現代的なツールも使う。よいところをそれぞれ取り入れるハイブリッドなスタイルです。宮崎さんの作るものは、スタイリッシュさと手作業のあたたかみのどちらも伝わってきます。それは、そんな柔軟なつくり方も影響しているのかもしれません。

気軽に使ってほしいから、もし割れたらまた買える価格帯で

おしゃれなデザインかつサイズや重さがちょうどいいと評判のラーメン鉢は人気商品の1つです。

宮崎さんが意識しているのは、たくさんの人が毎日つかえる価格帯の器をつくること。
毎日の暮らしにつかえるものをつくりたいという思いは、そんなところに反映されています。

「割れたからまた買おうと思ってもらえるのが目標です。そのためには、見た目はもちろん価格設定も大切にしたい。今はまだ、僕の器を買ってくれるのは30~40代の器好きな方たちが一番多いのですが、ゆくゆくはもっと若い世代の人たちにも気軽に使ってもらいたいです」と、展望を語ってくださいました。

有田焼や唐津焼ではなく「お好み焼き」

ところで、宮崎さんがつくる器は有田焼なのでしょうか?
そんな疑問を投げかけたところ、「よく聞かれるんです(笑)」との第一声。

「有田の窯業大学校で技術を学んだので技術は有田焼です。でも細かいところは違うかもしれませんし、ジャンルやカテゴリーにはこだわりはないので、そんなときはみなさんのお好みで決めてもらえたらという思いから”お好み焼きで”と答えています」と、笑いながら教えてくれました。

つくり方に始まり、さまざまなことに対して柔軟な考え方を持つ宮崎さん。「こうでなければいけない」というところがなく、自由で心地よい様子は作品にも表れています。そんな姿勢でつくられているからこそ、デザイン性が高いのに肩ひじ張らずに日常使いできる食器になっているのかもしれません。

工房内も整理整頓が行き届いていました。ツールはラベルを貼った引き出しに収納されていて、すっきりと片付けられています。

これからも、柔軟に

「これからは、クラウドファンディングなども活用して、新しいラインをつくりたい」と今後の抱負も語ってくれました。デザインの仕事のノウハウを活かして新しいコトを企画しているそう。有田の街に、次はどんな風を吹かせてくれるのかわくわくします。

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赤絵座に工房を持てるのは3年間と期限が決まっているので、あと1年ちょっとで別の場所へ移転して完全に独立しなければなりません。「窯をどこに持つかなど考えますが、なるべく制約のないところでつくりたいですね」と、独自のスタイルは崩さないようです。

赤絵座では絵付けやろくろ挽きの体験も随時受け付けています。宮崎さんにご興味がある方は早めに訪れてみてください。宮崎さんならやさしく丁寧に教えてくれるに違いありません。


問い合わせ先

器とデザイン 宮﨑雄太
〒844-0006 佐賀県西松浦郡有田町赤絵町1-2-18
email:uturn_m@me.com
website:http://utsuwatodesign.jp/

この土地のよい土をよい器にする好循環を ~鳥巣窯 岸田匡啓さん~

鳥巣窯(とりすがま)は、佐賀県唐津市内の東部に位置する浜玉町の山の上にある窯元です。
ときおり海が見える山道を10分ほど登ると、「鳥巣地区」と呼ばれる集落にたどり着きます。地域の集会場の駐車場に車を停めて、工房にお邪魔しました。

標高600メートル。気温がふもとより5度低いと言われるその土地は、標高1600メートルの位置にあります。気持ちがシャキっとする冷たく澄んだ空気の中に、鳥巣窯はひっそりと佇んでいました。

出迎えてくれたのは、この窯の主である岸田匡啓さん。窯に併設されたご自宅では、数か月前に生まれた娘さんがお昼寝中とのことでした。

岸田さんの器でお茶とお菓子いただきながら、じっくりとお話を伺いました。

師匠の作品と人柄に魅せられて夫婦で移住

岸田さんは、奥様とこの土地に移住してきたIターン作家さんです。ご出身は静岡県とのこと。東京で働いていた岸田さんが唐津にやってきた理由がまず気になるところでした。

「もともと焼き物を見るのが好きで、旅行で訪れた際に唐津焼の窯元さんを訪ねたりして、つながりができていたのが大きいですね。日本各地にさまざまな焼き物がありますが、唐津焼は自分の理想とする器づくりに一番近かったということもあります。でも、なによりの決め手はのちに師匠となる川上さんの作品に魅せられたことです。」

岸田さんの人生を変えるほどの器をつくる「川上さん」とは、川上清美陶房の川上清美さん。芸術性の高い器をつくり、全国にファンがいる人気陶芸家です。

「作家名を出さずに器を展示するギャラリーでいいなと思った器が川上さんの作品ばかりだったんです」と、岸田さんの感性を大きく揺さぶるほどの作品を数多くつくられています。

お茶を運んでくれた奥様も「主人が唐津で独立しようと決心したのは川上さんの魅力によるところが本当に大きいんですよ」おっしゃるほどでした。

「作品はもちろんのこと、人柄もすばらしくて。尊敬してやまない自慢の師匠です」とのこと。岸田さんは、師匠の元での修業期間中に、唐津焼きの素材としての唐津の土の魅力から、自分の身を置く土地としての良さまで実感されたようです。

陶芸は、過去と未来の自分を1つにつなぐ存在

とはいえ、どんなに器が好きだとはいえ、陶芸家としてやっていこうと決心することにはつながらないはず。岸田さんが陶芸家を目指した理由も気になるところです。

大学では美術史を学び、戦後のアメリカ美術を専攻していた岸田さん。建築とアートの境界に強い興味を抱かれていました。その後も大学職員として働きながら、当初は建築の道に進むべく勉強をしていたそうです。しかし、さまざまな部門を経て、それぞれの担当者がかかわりながら1つの大きなものをつくる建築よりも、「自分でゼロから完成まで携わり、材料とつくるもののよい循環を生み出すこと」が本当にやりたいことだと感じるようになり、建築ではないなにかを探していたタイミングで出会ったのが陶芸でした。

「たまたま訪れた栃木県の益子で、益子焼の陶芸体験をしたときに、これが自分のやりたいことかもしれないと感じたんです。これなら一生やっていけるに違いないという確信もありました」

それまで学んでいたことと、これから追い求めていきたいことが1つにつながった瞬間だったそうです。

スコップをかついで山から山へ

岸田さんは器をつくるための材料である粘土のために、まず土を調達することから自分で行います。スコップをかつぎ、大きな袋を持って、よい土がありそうなところへはどこまでも出かけます。工房には100種類以上の土が置かれていました。唐津の土を中心に使い、自宅の裏山の土を使うこともあれば、遠くは伊万里、有田、波佐見まで土を採りに行くこともあるそうです。器によい土が豊富なこともこの地域に移り住んだ理由のひとつでもあるのだとか。

壁一面に積まれた、土、土、土…!

そして、採ってきた土を粘土に精製することも自分で行います。そうやって完成した粘土は、地域や素材のまじりあい具合から少しずつ異なる特性を持ち、それを最大限活かした器へと形づくられていきます。

取材中、何度となく岸田さんが言葉にしていたのは「よい循環」。自然の一部である土を、一番よい形の作品に、自らの手でつくること。これが岸田さんにとって理想的な創作活動の姿なのです。

粘土だけでなく、釉薬も手づくりしているとのこと。近所の農家からもち米をつくった際に出来る藁もらって藁灰を作っている

いただいたお菓子を乗せていたお皿も「そのあたりの土からできているんですよ」と教えてくれた岸田さん。驚く私たちに「器は、本来そういうものですから」と笑顔で教えてくれました。ひょうひょうと話すその様子からは、土を採りに行くことからご自身で行う創作活動が、岸田さんにとってはあたりまえのことなのだと伝わってきました。

理想的な土地‘鳥巣’に出会う。

師匠である川上さんの陶芸に魅せられ、唐津で修業をするうちに唐津焼の魅力に目覚めた岸田さんは、早い段階から唐津で独り立ちしたいと決心するようになりました。

唐津市は佐賀県の中でも大きな都市ですが、この鳥巣地区は人里離れた山の上。成長した娘さんが通うはずだった小学校の分校も数年前に閉校になってしまったそうです。もっと便利な場所に工房をかまえることもできたはずなのに、なぜここを選んだのでしょうか。

そのお答えは「ここにイメージしていた通りの登り窯とそれを取り巻く環境があったからです。」とのこと。

イノシシやアナグマがひょっこりと顔を出すほど自然豊かな環境の中、登り窯は山の斜面に沿うようにつくられています。

静かな雰囲気の集落の中にある敷地、木々に囲まれた敷地にある一軒家、そしてイメージしていたサイズと傾斜の登り窯、そのような理想的な環境に惹かれ、ここで独立する決心をしたそうです。

大きな登り窯ですが、それでも比較的小ぶりなほうだとか。

とりすまつりは地域を巻き込んだ一大イベントに

今年、第一子となる娘さんが誕生した岸田さんファミリー。その人柄もあるのでしょう。すでにこの集落の一員としてご近所づきあいもとても良好なようです。私たちが車を停めさせてもらった消防団にも岸田さんは団員として所属しています。

唐津観光協会が毎年秋に開催している「窯元ツーリズム」時には、鳥巣窯は「とりすまつり」といって集落全体をまきこんだイベントを開催しています。今年のとりすまつりは第4回。年々規模が大きくなり、鳥巣窯だけでなく集落の集会場も会場に。おもちつきを行ったり、この地域の農産物を販売するマルシェや郷土料理のビュッフェのほか、岸田さんの器に鳥巣産の多肉植物を寄せ植えするワークショップを開催するなど、とにかく楽しそうな内容でした。

鳥巣地区で栽培されている多肉植物と岸田さんの器のコラボレーション。とりすまつりでは寄せ植えワークショップが開催されます。

最初は窯元ツーリズムに参加するので、出来れば鳥巣の山里の良さがわかることをしたいと、ご近所さんに話したところ、「餅つきでも、みんなでしようか!」と提案してくれて、だんだん手伝ってくれる方が増えていきました。今年は地域のみなさん総出のイベントになりそうとのこと。

とりすまつりは、1年の中でこの地域に最も多くの人が訪れる一大イベントになりつつあります。

底の痕跡も唐津焼の魅力

岸田さんにとって唐津焼の魅力はどこにあるのかも伺いました。

「古唐津」と呼ばれる桃山時代の唐津焼には、伝統と品格がありつつも、飾りすぎない魅力があるとのこと。肩の力を抜いて使える器や花器が、唐津焼には多いそうです。

そして、器の底部分にも魅力がたっぷりあるのだとか。
器の底には焼いた後に削り取った部分があり、素材の砂気によってその部分の削り味が違うのです。粘土の「ちりめんじわ」も底の部分にあり、どんな土を使って、それをどう精製してつくられたのかがわかる痕跡が現れます。

土から器づくりをする岸田さんらしい、ややマニアックな観点ではありますが(笑)、人の手でつくられたことが一番よくわかる箇所なのだそうです。

見る人の心に響く器をつくりたい

岸田さんがものづくりをする上で大切にしていることは、作品を目の前にしたときの心の響きです。

「美術館やギャラリーでは、見た瞬間に心がシンとする作品に時折出会えます。僕にとっては川上さんがそう。「古唐津(桃山時代の唐津焼)」をはじめとする桃山時代の名品にもそれを感じるし、そんな感覚を与える器を作りたい。どんな器をつくったらそうなるのかは自分でもまだわからないのですが・・・。いつもそのことを考えて、土に向かっています」

山の上に工房を構え、ストイックに素材から吟味してものづくりを行う陶芸家というと、なんだか近寄りがたいイメージを抱きがちですが、岸田さんはおだやかな物腰でどんな質問にも丁寧に答えてくれる、笑顔の素敵な若い作家さんです。かわいくて仕方がないという娘さんの子育てに奮闘するイクメン新米パパでもあります。

とりすまつり開催中でなくても、鳥巣窯は来訪者歓迎ですのでぜひ訪れてみてください。普段はおもちつきはありませんが、素敵な笑顔の岸田さんご夫妻がお迎えしてくださいます。あたたかい気持ちになることをお約束します!


問い合わせ先

鳥巣窯

〒849-5113 佐賀県唐津市浜玉町鳥巣880-1
website:https://masahiro-kishida.jp
e-mail:monodialogo@gmail.com
TEL:0955-58-2111

手に取る人に楽しみと開運をもたらす郷土土鈴 ~のごみ人形~

のごみ人形は佐賀県鹿島市の「能古見(のごみ)地区」につたわる郷土玩具。能古見地区は佐賀県の南部に位置し、有明海や多良岳に囲まれた自然豊かな街並みの中に工房があります。

のごみ人形のはじまりは昭和20年のこと。藩の庇護の元、一子相伝で受け継がれた染め物の鍋島更紗を復刻した鈴田照次氏がつくった郷土玩具です。

私たちが訪れると、郷土玩具工房のイメージとはちょっと違う若い男性が2人も!フレンドリーな笑顔で出迎えてくれました。

1人は創始者の孫であり、のごみ人形と染色の伝統をお父さんより学んでいる鈴田清人さん(写真左)。のごみ人形と鍋島更紗の伝統を受け継ぐ若き3代目です。そしてもう1人は、のごみ人形のつくり手として、つい半年前に入社したという前田大輝さん(写真右)。つくり手としては2代目だそうです。

取材場所となった工房入口にある応接ブースのまわりには全国各地の郷土玩具がずらりと展示されていて、民芸好きにはたまらないであろう空間です。その昔、のごみ人形をつくる際の研究材料として清人さんのおじいさまが収集したものだそう。その中には、同じ佐賀県の郷土玩具である尾崎人形もありました。

写真左側にある人間のカタチをした人形と、その隣にある鳩笛が尾崎人形です。

戦後の人々に潤いを豊かさを

終戦時ということで食べるだけで精いっぱいだったその時代。人々の心が荒みがちだった世の中をみて、「気持ちに潤いと楽しさを」と玩具をつくり始めたのが、のごみ人形誕生のきっかけなのだそうです。

とはいえ、物資はまったくない時期のこと。当時ののごみ人形は近所に落ちていた木材を集めてつくった木製の人形だったのだとか。照次氏の想いどおり、人形は多くの人の心を楽しませ、評判を呼ぶことになります。

こちらが初代ののごみ人形。カチガラスや面浮立など、佐賀への郷土愛をうかがわせるモチーフばかりです。

祐徳稲荷神社のお土産品に

鹿島市内にある祐徳稲荷神社は、日本三大稲荷の1つに数えられる神社です。現在の参拝者は年間約300万人にものぼるそう。その神社からの依頼でお土産品として販売させてもらいたいと依頼を受けたことが、今の土鈴に形を変えるきっかけになりました。木材よりも安定して量産できることのほかに、当時照次氏が有田焼の絵付け指導をしていたため、焼き物の知識や道具がある程度あったこと、戦後の混乱がいくらか落ち着き、徐々に物資が豊かになりつつあった時期だったことなどさまざなま理由が重なりました。

そんな真面目ないきさつを語ってくれながら「ちなみにここだけの話ですが」と前置いて、「苗字が“鈴田”だったから、土鈴にしたのではないかという説もあります」とおちゃめな表情でこっそり教えてくれた清人さん。工房内の和気あいあいとした雰囲気は、そんな清人さんのお人柄も大きく影響しているようです。

敷地内にある窯も見せていただきました。大量の人形を一気に焼くことができる大きな窯です。

そして国民的な縁起物に

こちらが現在、祐徳稲荷神社で販売されている稲荷駒。魔除けと開運の人形として人々に親しまれている縁起物です。最近は人気のインテリアセレクトショップなどでも販売されていたりと、広い世代から支持を得ています。

「どこかで見たことがある」という方も多いことでしょう。それもそのはず。この稲荷駒は、3年前の年賀切手になっているのです。

平成26年のお年玉付き年賀切手に大抜擢!

しかも、年賀切手のモチーフになったのはこの年が初めてではありません。昭和38年のうさぎ、平成3年のひつじに続き3回目。のごみ人形は年賀切手の常連チームなのです。

その昔、潤いと楽しみをと、手に取る人の心を豊かにすべくつくられはじめたのごみ人形。モノが豊かになった今は、当初のコンセプトはそのままに、やはり心に豊かさを与える縁起物として、開運や魔除けのお守りになっています。

さらに、海外の方にも徐々に知られてきており、のごみ人形のみみずくがクリスマスツリーに付けるオーナメントとして使われているのだとか。日本を代表するラッキーモチーフとして、世界中から親しまれているのです。

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海外で人気の「みみずく」は前列右。

前田さんはつくり手として期待のホープ!のごみ人形は、型取りをするつくり手と絵付けをするつくり手の連携プレーでつくられます。今年の夏に、60年もの間型取りを担っていた松尾さんが引退。その跡を継ぐのが前田大輝さんです。

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今まで流通していたのごみ人形はすべて松尾さんがつくったものだそうです。

もともとは介護の仕事をしていましたが、ものづくりに携わりたいとこの工房の門をたたいたという前田さん。実は鈴田家とは親戚関係とのことで、古くから知った間柄でもあるそうです。

取材時に、目の前で人形づくりを実演してもらいました。始めてからまだ半年とは思えないほど慣れた手つきで、スピーディーに来年の干支である「戌」をつくっていきます。

佐賀県産の土と、有田焼などにも使われる石粉をブレンドしたオリジナルの粘土を使うことで絶妙な手触りと音色を奏でる土鈴になります。

型から抜いてある程度乾燥させてから底の部分に切り込みを入れます。この幅やまっすぐさが鈴の音色を左右する大切なポイント。1つ1つ丁寧に、きれいな音が出るように切っていきます。

そして素焼きした人形を最終チェック。切り込みにある余分な粘土部分を削って人形の土台が完成します。

前田さんの手。しっとりとした手触りの粘土ですが、冬場は皮膚の水分を奪うため、手がカサカサになってしまうそうです。

「松尾さんとは手さばきやスピードが全然違います。追いつくまであと何年かかるんでしょうね。大変なこともありますが、人形づくりはとても楽しい。これからもがんばりたいです」と、今後の抱負を語ってくれました。

「本当は松尾さんに教えてもらいたいことがたくさんあった」という前田さんに人形づくりを教えるのは、実は清人さん。小さなころから工房に遊びに来ては、松尾さんが人形をつくる姿を見て、ときには教えてもらっていたのだとか。清人さんにとっては家族のような存在である松尾さんの引退は残念ではありますが、その技術や想いを受け継いでくれる前田さんには期待を寄せているそうです。

人形もベースメイクが肝心

前田さんが型取りし、窯で焼いた後に絵付けを担当するのは女性スタッフのみなさんです。向かい合って黙々と手を動かしつつも、笑顔でおじゃべりをする時間があったりと、なんだか楽しそうでした。

絵付けに使うのは日本画に用いられる顔料。手触りがよく見た目が美しいのですが、扱いにはコツがいる職人泣かせの素材なのだとか。とくに胡粉(ごふん)を全体に塗る作業は高度な技術が必要です。

ニカワと水分を加えた顔料を温めたプレートの上でじっくり溶かします。気温や水分量によってちょうどよい固さや濃さにするための調整が必要。塗る以前の段階で、熟練の技が必要になります。

「粉の状態や気温を見極めて顔料を溶かないときれいに塗れないし、塗り方が均一にならないと、その後の絵付けもうまくいかないのよ。お化粧と一緒ね。ベースメイクが肝心!」

そんなことを笑いながら話してくれながらも、自らの担当にやりがいを強く感じている様子がうかがえました。

女性スタッフさんたちの勤務時間は、月曜日~金曜日に8時~17時までとフルタイム勤務。この道15年を超えるキャリアウーマンさんたちなのです。

私にわかりやすく仕事内容を教えてくれつつも手の動きが止まることはなく、人形に素早くベースメイクをきれいに施す様はさすがのひとことでした。

新年を、のごみ人形で縁起よく

最後に清人さんに、のごみ人形の魅力を伺ったところ「誰にでも手に取ってもらえるようなかわいらしいデザインと、温かみのある音色」と答えてくださいました。おじいさまの想いがカタチになり、今でも多くの人を豊かな気持ちにさせてくれているのは、清人さんにとって最も嬉しいことのようです。

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人気の干支シリーズは、大きいサイズと小さいサイズがあり、私も来年の「戌」を購入しました。新しい年がいい1年になりそうで、自宅で見かけるたびに嬉しくなります。

日本が誇る縁起物の1つであるのごみ人形。新年を迎える準備として、1つご自宅に迎えませんか。古き良き日本の趣がありつつも、スタイリッシュさを持ち合わせたルックスは、どんなインテリアにも違和感なく溶け込んでくれることうけあいです。


問い合わせ先

のごみ人形
〒849-1314 佐賀県鹿島市大字山浦甲1524
TEL:0954-63-4085

木工の街に生まれた、家族が集う空間 ~木のおもちゃ 飛鳥工房 廣松利彦さん~

佐賀と福岡の県境、筑後川の河口近くにぽっかりと浮かぶ小さな島があります。
住所は佐賀市諸富町。隣接する福岡県大川市とともに、家具の産地としてご存知の方も多いかもしれません。

その島の中心部に工場とショールームを構えているのが、今回訪れた「木のおもちゃ 飛鳥工房」。入口の佇まいから、なんだか素敵! 小道を歩くだけで向こう側に気持ちのいい空間が広がっていることが感じられ、とてもわくわくしました。

ショールームに入ると、木の香りにふわっと体が包まれて心がすっと落ち着くよう。入口で出迎えてくれたのは、飛鳥工房の代表を務める廣松利彦さんと、小さなかわいい木馬でした。

愛娘・飛鳥ちゃんのための木馬づくりがスタートライン

廣松さんが飛鳥工房を始めたきっかけは、20数年前に娘さんのために木馬をつくったことでした。当時は、お父様が経営している会社で家具の取っ手やつまみなどの木製パーツをつくる職人さんだったそうです。

こちらが飛鳥ちゃんのためにつくった木馬。現在は工房のシンボルとしてショールームの入口にいます。

大切な娘のために、パパ手づくりの心のこもったおもちゃをつくってあげたい。
そんな思いから、素材や塗料にもこだわりぬいた、1台の木馬が完成しました。娘さんの名前は「飛鳥」。この工房の名前でもあります。

パパがつくった木馬は、飛鳥ちゃんの大親友に。当時2歳だった飛鳥ちゃんは、この木馬と毎日楽しそうに遊んでくれたそうで、それは廣松さんにとってとても嬉しい出来事になりました。

工房のロゴも木馬です。

そのほかにもさまざまなおもちゃをつくり、お友達にもプレゼントすることが多くなっていったそう。そんな木のおもちゃは次第に評判を呼び、おもちゃ工房を始めることになりました。

実はそのころ、諸富の土地での家具づくりにも変化が生じていました。これまでこの産地でたくさんつくられてきた、嫁入り道具としての婚礼家具のニーズが激減したことです。もちろん廣松さんがつくるパーツの需要も減っていきました。

「木は他の素材にはないあたたかさやぬくもりがあり、どんなものにも加工できる素晴らしい素材です。このまますたれていくのはあまりにも残念。そんなことを思っていたタイミングでもありました。パーツづくりで培ってきた“ちいさなものを丁寧につくる”という技術を活かしたおもちゃづくりは、私はこれからやっていきたいことに合致していました」(廣松さん)

職人は全員女性!ママたちがつくっています

飛鳥工房として独り立ちをしたのち、事業が軌道に乗るまではしばらくかかりましたが、現在は5人の職人さんをかかえ、たくさんのおもちゃを生み出す大きな工房に成長しています。商品のラインナップも増え、子ども用のおもちゃだけでなく、大人向けのインテリア小物やキッチンツールまでバリエーションも多岐にわたります。

工房を見学させてもらい、気づいたことがありました。なんと、職人さんが全員女性!しかも、5人中4人はお子さんを育てるママなのだそうです。

「女性だからとか、ママだから働いてもらっているわけではないんです。たまたまここで働きたいと言ってきてくれる方がみんな女性だっただけ。木工職人は男性が多い職業ですが、小さなおもちゃや小物をつくる細かい仕事は女性のほうが得意だし、つくるものもどちらかというと女性向けのものが多いから、うちには女性があっているのかもしれませんね」と、廣松さんがその理由を分析してくれました。

ママ職人さんのアイデアで商品化されたおもちゃもたくさんあります。「わが子に使ってもらいたい」という思いや「こんなおもちゃがあったらいいな」という現役ママのリアルな声が活かされたおもちゃがたくさんあるのも魅力的に感じました。

この「メモリーゲーム」もママ職人さんのアイデアでつくられたもの。子どもも大人も夢中になって遊べます。

大川市の赤ちゃん全員にプレゼントされているスプーン

飛鳥工房の人気商品の1つに、離乳食用の「ファーストスプーン」があります。3種類の木材をつかったスプーンで、離乳食のステップに合わせて使い分けられる2つのスプーンが1本になっています。

赤ちゃんの口にやさしい形状なのはもちろんのこと、ママの持ちやすさや、テーブルに置いたときにスプーンの部分が宙に浮く設計にして、衛生面も考慮されています。木材だけでなく、塗料にも天然の米ぬかオイルを使用。子どもが口にするものとして、これ以上はないというほどの安心安全設計となっています。

器とセットになった「ファーストスプーンセット」5,600円(税別) はギフトに人気。

このスプーンは、お隣福岡県大川市内で生まれた赤ちゃん全員にプレゼントされているのだとか。ヨーロッパでは生まれた赤ちゃんにスプーンを贈ると幸せになれるという言い伝えがあり、その風習を日本ならではの木で実現したプロジェクトです。

木工産地ならではの粋なはからいですね。このスプーンをつかったママたちが食器やおもちゃを買いに来てくれることも多いそうです。

ショールームは、子どもたちが集う公園のよう

おしゃれな佇まいや緑が多い環境に惚れ惚れしたショールームはその居心地のよさも抜群です。

大きな窓の向こうには、ウッドデッキのスペースに大きなテーブルと椅子がおいてあり、天気のいい日はとても気持ちよさそう。つい先日ここに廣松さんが設計したブランコが設置され、子どもたちがそのブランコではしゃぐ声が響くようになったそうです。さらに来年にはテントも設置する予定だとか!

「1度は訪れてみたい。また行きたい」と思ってもらえるような、公園のようなショールームを目指しているとのことで、まさにそんな表現がぴったりです。すぐ近くには観光名所として有名な「筑後川昇開橋」もありますし、観光がてら訪れてみるのもおすすめです。

バリアフリーで、ベビーカーや車いすのまま入れますし、おむつ替えスペースも完備です。トイレットペーパーホルダーも飛鳥工房製!

大人のためのスタイリッシュな木工製品にも注目!

木のおもちゃ屋さんという屋号ですが、つくっているのは子ども向けのものだけでなく、大人が欲しくなるようなスタイリッシュでユニークな小物もたくさんありました。

思わず夢中になってしまう木製パズルは、家で過ごすひとときをよりリラックスさせてくれそう。使いやすそうな木製のコーヒードリッパーやカッティングボードなどは、良いものを大切に使いたいというこだわり派の方の心をわしづかみにしそうです。

スマートフォンをはめてアンティークテレビのように楽しめる「スマホテレビ」も、その機能以上に見た目がかっこよくておもしろいひと品です。

これらの多くは廣松さんの作品。「おもちゃはママさんたちのアイデアのほうがいいけんね、私はこういうの担当。もともとは小さなパーツをつくっていた職人だから、得意なんですよ」とお話してくださいました。

そしてショールームにあった製品のうち、こういうアイテムも木でつくられているのかと実感したのが、こちらの盾とトロフィーです。

飛鳥工房では佐賀インターナショナルバルーンフェスタの盾とトロフィーを毎年つくっているそう。上位入賞者に贈られるトロフィーはミニチュア版を一般販売するそうですが、毎年すぐに完売してしまう人気商品です。

おもちゃだけではなく、実はこんな秀逸なアイテムもつくられているのですね。

使ってくれるお客様の笑顔が原動力

20年前に木馬をつくったときの飛鳥ちゃんの嬉しそうな笑顔と同じ、幸せな光景がこのショールームと工房にはあふれています。

「パーツを家具メーカーに納品する仕事では、エンドユーザーの反応はまったく見ることができなかったけれど、おもちゃをここで販売するとその笑顔を見せてもらえる。それが醍醐味です。子どもがうちのおもちゃで遊んでいる写真を送ってくれたり、壊れたから修理してほしいと持ち込んでくれる方も。とても嬉しいです」とお話してくれました。

たくさんの方に訪れてもらいたいという気持ちから、こんなにも居心地のいいショールームをつくったのだそう。木工体験やイベントを開催するなど、週末は大盛況なようです。

魅力あふれる木のおもちゃやインテリア小物たちを観に、この小さな島を訪れてみませんか。飛鳥ちゃんの木馬が、入口で待ってくれています。

 


問い合わせ先

株式会社飛鳥工房

〒840-2104 佐賀県佐賀市諸富町徳富112-4
TEL:0952-47-5697

伝統と作り手の想いを未来へつなぐ ~肥前びーどろ 副島硝子工業~

佐賀市にはクリークと言われる水路がとても多く、夏でも心地よい風を感じることができる街並みが特徴です。肥前びーろどをつくる副島硝子工業は、そんな佐賀市内の中心部に直営店と工房を構えています。

訪れたのは夏真っ盛りの8月上旬。暑い時期でしたが、ガラス製品がずらりと並ぶ店舗は目にも涼しく、1歩入るだけで爽やかな気持ちになるような光景が広がっていました。

副島硝子工業でつくられているのは、佐賀市無形文化財に指定されている「肥前びーどろ」です。

 

工房は「暑い」、そして「熱い」

その昔、佐賀市内には数多くのガラス工房が立ち並んでいたのですが、現在はここ1件のみ。つまり、肥前びーどろをつくっているのは副島硝子工業だけとなっています。

直営店の奥にある工房で働くつくり手は、ともに30代の男性ふたり。
藤井崇さん(写真奥)と副島正稚さん(写真手前)です。

直営店内の涼しさとはうってかわって、工房は灼熱の温度です。ガラスを溶かすための窯の内部は、約1300度になることも!その窯の前の気温は70度にもなるそうで、猛暑どころの暑さではありませんでした。

藤井さんはこの道一筋20年。学生時代に偶然見かけたガラスづくりに魅了され「職人になりたい」と副島硝子の門をたたいたという熱い志の持ち主です。

「20年毎日ガラスをつくってもまだパーフェクトではない。でも去年の自分よりはイメージをカタチにできていることは実感しています。昨日よりは今日のほうが、職人として、なりたい自分に近づいている。日々、つくりながら技を磨いています」と、いきいきとした表情でお話をしてくれました。

ガラスづくりがおもしろくて仕方がないという気持ちが、お話をしていて伝わってくるようでした。

左から藤井さん、社長の副島太郎さん、副島正稚さん。15時の休憩時にお話を聞かせてもらいました。

3代目社長の息子である副島正稚さんはつくり手になって今年で11年目。「人手が足りないと言われて、家業を継ぐために」と、副島さんがこの道に入ったきっかけは藤井さんに比べるとクールではありますが、今は藤井さんに負けないくらいの情熱を持って吹き竿を吹いています。

副島さんにとってもガラスづくりは上達を楽しめることが魅力だそうで、「イメージ通りのカタチがきれいに一発でできたときは、最高にうれしいんです。これは“今日イチ(今日一番の出来)”というガラスに出会えた日は、仕事後に飲むビールが一段とおいしいですよ」とはにかみます。

 

そして正稚さんにとって、肥前びーどろの魅力は「ギャップ」ともおっしゃっています。

熱い窯の中、真っ赤でトロトロになったガラスが、温度が冷えると透き通った涼しい見た目になること。冷たい飲み物を注いでも、空気の力で形づくられたやわらかさやあたたかさを感じられること。
熱さをもったガラスに日々触れているからこそ知りえるギャップですが、そのお話を伺って、ますます魅力的に見えてきました。

10年、20年と経験を積んでも、おふたりが口々に「まだまだ」と言うならば、では何年のキャリアが必要なのだろうと社長の太郎さんにお話をうかがいました。

お答えは「30年」。その数字には、太郎さんが若いころに共に働いていたかつての職人さんとのエピソードがあるそうです。

 

窯の火を絶やさないために奔走した若き日々

大学を卒業後、県外の一般企業に就職を予定していたものの、お父様である2代目社長に呼び戻され家業を継ぐことになった若き日の太郎さん。当時は営業職をメインに、自社でつくるもののほかに外部から仕入れたガラス製品も販売する営業形態でした。

自社製品は売れ行きが芳しくなく、在庫はどんどん増えるばかり。ある日経理担当者から「工房の閉鎖」を言い渡されたそう。

幕末から続くガラス製品の製造を辞める。100年以上もの間燃え続けてきた窯を止めることは、大きな決断だったことでしょう。

「そろそろ意地をはるのはやめんかい」

経理担当者にそう言われたことを、太郎さんは今でもはっきりと覚えているそうです。

今日もこの煙突からは、窯から立ち上る煙が空にのぼっていきます。

そんな中、当時の工場長だった職人さんが太郎さんに言った一言が、「閉鎖はしない。窯の火を燃やし続ける」という今に続く決断に結び付きました。

「30年かけてやっと、つくりたいものがつくれるようになった」

その工場長は中学卒業後30年間、職人として腕を磨いてきた熟練のガラス職人でした。
「さあ、これからだ」
そう思った矢先の閉鎖宣言だったそうです。

その職人さんの想いを、そして佐賀の伝統を未来につなぐため、太郎さんは奔走します。
まずは父親である先代の社長を説得することから。そして、在庫がこれ以上増えないように生産を見直し、「売れる商品づくり」に方向転換しました。

幻の技「ジャッパン吹き」と「二刀流」

近代化の進む幕末時代に、今でいう理化学研究所で使うガラス製の実験器具を製造していたのが副島硝子工業のルーツです。ビーカーやフラスコなどの器具から始まり、明治時代にはランプなどをつくっていましたが、現在メインで製造しているのは主に家庭用のガラス食器たち。

とくに「燗瓶(かんびん)」は肥前びーどろを代表するガラス製品となっています。

米どころである佐賀県は、日本酒の味にも定評がある土地。この燗瓶で地元産のおいしい日本酒をいただくのがお祝いの席や日常のお酒の席ではあたりまえの光景なのだそう。

そしてこの燗瓶は、製法にも肥前びーどろだけの特殊な伝統技術が用いられています。

それが「ジャッパン吹き」と「二刀流」。その2つの技術を駆使することで、なめらかで美しい曲線が生み出されます。

ジャッパン吹きとは、ガラスの吹き竿を使う製法のこと。ガラスづくりには一般的には鉄が使われていますが、日本では鉄をはじめとする金属が高価だったこともありガラスが使われていたのだそう。

金属と違い、ガラスは熱に強いわけではありません。何度も焼き直しをすると竿も溶けてしまいますし、急激に温度を変えると割れてしまいます。少ない回数で素早く的確に吹く職人の技術が必要なのです。

「ジャッパン吹き」とは、そんな様子を見たオランダ人技術者が驚きと尊敬の意を込めて名付けた名称。前述したように高度な技術が必要なこともあり、現在は日本でもこの製法を用いている工房はほとんどありません。

さらに「二刀流」とは、燗瓶の2か所の口にそれぞれ吹き竿を刺して成型する製法。
これが行われるのは日本で唯一、副島硝子工業だけ。「幻の技」とも言われています。

型を使わず、2本の吹き竿だけを使って空中で形づくられた燗瓶は1つ1つ形が微妙に異なりますし、艶やかでなめらか。うっとりするような曲線美が生まれるのです。

贈り物や引き出物に、1点物の名品を

佐賀県が誇る工芸品としても確固たる地位を築いている肥前びーどろは、地元では贈り物や結婚式の引き出物としても人気。

取材中も、贈り物としてガラスタンブラーを見に来た女性たちで直売店がにぎわっていました。1つ1つ並べて形や模様を吟味していらっしゃいました。

肥前びーどろの中で最も人気が高いという「虹色タンブラー」は、もともとは職人の藤井さんがご自身の結婚式の際に引き出物としてデザインから携わったもの。そのタンブラーを手にした参列者たちから新たな注文が相次ぎ、商品化したというエピソードもあるそうです。

あたりまえの日常を、これからも

肥前びーどろの特徴をうかがうと、社長の太郎さんは「実用的であること」とおっしゃっていました。

肥前びーどろはガラス食器としては同じ九州の薩摩切子と比較されやすいのですが、比べると確かに実用的かつ、価格も手が届きやすいのが特徴です。何気ない日々を彩ってくれる、日常使いに適したガラス食器と言えるでしょう。

一度はなくなりかけた肥前びーどろを現在に、そして未来へ残していく。
お話をうかがった3名からは、その意気込みとともに肥前びーどろを心の底から愛していることが伝わってきました。1つ1つの製品に、涼やかな見た目とは裏腹な、1300度の窯の温度にも負けないほどの熱い想いが込められています。

 


問い合わせ先

副島硝子工業株式会社

〒840-0044 佐賀県佐賀市道祖本町106
TEL:0952-24-4211