佐賀市にはクリークと言われる水路がとても多く、夏でも心地よい風を感じることができる街並みが特徴です。肥前びーろどをつくる副島硝子工業は、そんな佐賀市内の中心部に直営店と工房を構えています。
訪れたのは夏真っ盛りの8月上旬。暑い時期でしたが、ガラス製品がずらりと並ぶ店舗は目にも涼しく、1歩入るだけで爽やかな気持ちになるような光景が広がっていました。
副島硝子工業でつくられているのは、佐賀市無形文化財に指定されている「肥前びーどろ」です。
工房は「暑い」、そして「熱い」
その昔、佐賀市内には数多くのガラス工房が立ち並んでいたのですが、現在はここ1件のみ。つまり、肥前びーどろをつくっているのは副島硝子工業だけとなっています。
直営店の奥にある工房で働くつくり手は、ともに30代の男性ふたり。
藤井崇さん(写真奥)と副島正稚さん(写真手前)です。
直営店内の涼しさとはうってかわって、工房は灼熱の温度です。ガラスを溶かすための窯の内部は、約1300度になることも!その窯の前の気温は70度にもなるそうで、猛暑どころの暑さではありませんでした。
藤井さんはこの道一筋20年。学生時代に偶然見かけたガラスづくりに魅了され「職人になりたい」と副島硝子の門をたたいたという熱い志の持ち主です。
「20年毎日ガラスをつくってもまだパーフェクトではない。でも去年の自分よりはイメージをカタチにできていることは実感しています。昨日よりは今日のほうが、職人として、なりたい自分に近づいている。日々、つくりながら技を磨いています」と、いきいきとした表情でお話をしてくれました。
ガラスづくりがおもしろくて仕方がないという気持ちが、お話をしていて伝わってくるようでした。

3代目社長の息子である副島正稚さんはつくり手になって今年で11年目。「人手が足りないと言われて、家業を継ぐために」と、副島さんがこの道に入ったきっかけは藤井さんに比べるとクールではありますが、今は藤井さんに負けないくらいの情熱を持って吹き竿を吹いています。
副島さんにとってもガラスづくりは上達を楽しめることが魅力だそうで、「イメージ通りのカタチがきれいに一発でできたときは、最高にうれしいんです。これは“今日イチ(今日一番の出来)”というガラスに出会えた日は、仕事後に飲むビールが一段とおいしいですよ」とはにかみます。
そして正稚さんにとって、肥前びーどろの魅力は「ギャップ」ともおっしゃっています。
熱い窯の中、真っ赤でトロトロになったガラスが、温度が冷えると透き通った涼しい見た目になること。冷たい飲み物を注いでも、空気の力で形づくられたやわらかさやあたたかさを感じられること。
熱さをもったガラスに日々触れているからこそ知りえるギャップですが、そのお話を伺って、ますます魅力的に見えてきました。
10年、20年と経験を積んでも、おふたりが口々に「まだまだ」と言うならば、では何年のキャリアが必要なのだろうと社長の太郎さんにお話をうかがいました。
お答えは「30年」。その数字には、太郎さんが若いころに共に働いていたかつての職人さんとのエピソードがあるそうです。
窯の火を絶やさないために奔走した若き日々
大学を卒業後、県外の一般企業に就職を予定していたものの、お父様である2代目社長に呼び戻され家業を継ぐことになった若き日の太郎さん。当時は営業職をメインに、自社でつくるもののほかに外部から仕入れたガラス製品も販売する営業形態でした。
自社製品は売れ行きが芳しくなく、在庫はどんどん増えるばかり。ある日経理担当者から「工房の閉鎖」を言い渡されたそう。
幕末から続くガラス製品の製造を辞める。100年以上もの間燃え続けてきた窯を止めることは、大きな決断だったことでしょう。
「そろそろ意地をはるのはやめんかい」
経理担当者にそう言われたことを、太郎さんは今でもはっきりと覚えているそうです。

そんな中、当時の工場長だった職人さんが太郎さんに言った一言が、「閉鎖はしない。窯の火を燃やし続ける」という今に続く決断に結び付きました。
「30年かけてやっと、つくりたいものがつくれるようになった」
その工場長は中学卒業後30年間、職人として腕を磨いてきた熟練のガラス職人でした。
「さあ、これからだ」
そう思った矢先の閉鎖宣言だったそうです。
その職人さんの想いを、そして佐賀の伝統を未来につなぐため、太郎さんは奔走します。
まずは父親である先代の社長を説得することから。そして、在庫がこれ以上増えないように生産を見直し、「売れる商品づくり」に方向転換しました。
幻の技「ジャッパン吹き」と「二刀流」
近代化の進む幕末時代に、今でいう理化学研究所で使うガラス製の実験器具を製造していたのが副島硝子工業のルーツです。ビーカーやフラスコなどの器具から始まり、明治時代にはランプなどをつくっていましたが、現在メインで製造しているのは主に家庭用のガラス食器たち。
とくに「燗瓶(かんびん)」は肥前びーどろを代表するガラス製品となっています。
米どころである佐賀県は、日本酒の味にも定評がある土地。この燗瓶で地元産のおいしい日本酒をいただくのがお祝いの席や日常のお酒の席ではあたりまえの光景なのだそう。
そしてこの燗瓶は、製法にも肥前びーどろだけの特殊な伝統技術が用いられています。
それが「ジャッパン吹き」と「二刀流」。その2つの技術を駆使することで、なめらかで美しい曲線が生み出されます。
ジャッパン吹きとは、ガラスの吹き竿を使う製法のこと。ガラスづくりには一般的には鉄が使われていますが、日本では鉄をはじめとする金属が高価だったこともありガラスが使われていたのだそう。
金属と違い、ガラスは熱に強いわけではありません。何度も焼き直しをすると竿も溶けてしまいますし、急激に温度を変えると割れてしまいます。少ない回数で素早く的確に吹く職人の技術が必要なのです。
「ジャッパン吹き」とは、そんな様子を見たオランダ人技術者が驚きと尊敬の意を込めて名付けた名称。前述したように高度な技術が必要なこともあり、現在は日本でもこの製法を用いている工房はほとんどありません。
さらに「二刀流」とは、燗瓶の2か所の口にそれぞれ吹き竿を刺して成型する製法。
これが行われるのは日本で唯一、副島硝子工業だけ。「幻の技」とも言われています。
型を使わず、2本の吹き竿だけを使って空中で形づくられた燗瓶は1つ1つ形が微妙に異なりますし、艶やかでなめらか。うっとりするような曲線美が生まれるのです。
贈り物や引き出物に、1点物の名品を
佐賀県が誇る工芸品としても確固たる地位を築いている肥前びーどろは、地元では贈り物や結婚式の引き出物としても人気。
取材中も、贈り物としてガラスタンブラーを見に来た女性たちで直売店がにぎわっていました。1つ1つ並べて形や模様を吟味していらっしゃいました。
肥前びーどろの中で最も人気が高いという「虹色タンブラー」は、もともとは職人の藤井さんがご自身の結婚式の際に引き出物としてデザインから携わったもの。そのタンブラーを手にした参列者たちから新たな注文が相次ぎ、商品化したというエピソードもあるそうです。
あたりまえの日常を、これからも
肥前びーどろの特徴をうかがうと、社長の太郎さんは「実用的であること」とおっしゃっていました。
肥前びーどろはガラス食器としては同じ九州の薩摩切子と比較されやすいのですが、比べると確かに実用的かつ、価格も手が届きやすいのが特徴です。何気ない日々を彩ってくれる、日常使いに適したガラス食器と言えるでしょう。
一度はなくなりかけた肥前びーどろを現在に、そして未来へ残していく。
お話をうかがった3名からは、その意気込みとともに肥前びーどろを心の底から愛していることが伝わってきました。1つ1つの製品に、涼やかな見た目とは裏腹な、1300度の窯の温度にも負けないほどの熱い想いが込められています。
問い合わせ先
副島硝子工業株式会社
〒840-0044 佐賀県佐賀市道祖本町106
TEL:0952-24-4211